―――ずっと泣いてたの、知ってるから―――


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　あの事件の夜―――食事会の日から2週間が過ぎて、俺は話があるからとおやっさんの城に呼び出された。理由はまず間違いなく賢のことだと思う。
　爺たちを騒がせたままで出ていったのだから、自分から説明に行くのが筋だろうと思っていたものの、賢のことをどう説明すればいいのか迷い、自分が忙しかったことに逃げてそのままにしていた。おやっさんは一応俺の保護者みたいなもんだし、きっと俺の代わりに爺どもにあれこれ問い質されただろう。―――怒鳴られるのは覚悟の上だ。

　「浮かない顔ですね」
だだっ広い庭を建物に向かって歩いていると、田村が後ろから声を掛けてきた。
「おやっさん、俺が連絡しなくて怒ってるに決まってるからな。会いたくねえ…できれば今すぐどっかへ逃げ出したいくらいだ」
「それがわかっていて、どうして今まで何の報告にも上がらなかったんですか」
「怖かったからに決まってんだろ」
俺がそう答えると、田村が苦笑した。
　やがて入口の扉が見えてきて、音もなく開いた。あー怖えー。音もなく扉が開くのはいつものことだけど、今日は地獄への入口みたいに感じる。扉の向こうからメイソン―――この家の執事が姿を見せる。60台で細身の長身、田村が年食ったらきっとこうなるんだろうな、って感じの渋いおっさんだ。
「いらっしゃいませ本宮様。旦那様が執務室でお待ちでございます」
「ああ」
「私は外でお待ちしています」
田村はそう言って執務室の手前の廊下で立ち止まり、俺に頭を下げた。俺は頷く。

　とりあえず平静を装って、2、3歩歩いたあと、俺は振り返る。
「―――おやっさん、怒ってる？」
メイソンはぷっと吹きだした。「覚悟なさってください」
　はあ。俺は溜息をついて、執務室に向かう。靴に鉛でも入ってんじゃねえかと思うくらい、足取りが重い。

　いかつい執務室のドアをノックする。「入れ」と中から低い声がした。観念してドアを開ける。思い切って部屋に、一歩。
「―――来たか」
　灰皿の一つでも飛んでくるかと思っていたが、気が抜けるくらいおやっさんはいつも通りだった。つまり、ただの強面だった。
「うーす……」
　幅広の仕事机に置かれたパソコンや資料から目を上げて、俺を見る。
「―――なんだその顔は。腹でも下したのか」
おやっさんは眉を顰めた。
「いや……その、怒ってんじゃねーかなと思ってたし……」
「何を」
「こないだの。―――賢の。説明しないままになってたし……」
　おやっさんは「ああ」と呟いた。
「そっちの事情は聞いている。賢はあの後無事だったそうだな。―――あいつらも皆安心している」
　あいつら、ってのは多分爺どものことだろう、が。
「聞いてる？―――って、誰から」
　俺がそう言うと、おやっさんは怪訝な顔をした。やがて小さく笑った。
「―――賢のことになるとすぐに舞い上がってたお前にしては、あれからすぐに経過を知らせてきたから随分気が利くもんだと思ってたが……」
　おやっさんは右手を上げてちょいちょいと振って俺を呼んだ。
　俺はドアの前から歩いて行って、机の前に立つ。
「これを見てみろ」
おやっさんが手元の資料を俺の前に差し出した。俺は屈んで覗き込む。ゴン、と音がして後頭部に衝撃が走った。
「ってえー！！！」
「馬鹿野郎」
　怒鳴られはしなかったが地を這うような低い声で罵られた。おやっさんの右の拳におもいっきり血管が浮いている。俺は殴られたところに手をやった。下手したら死んでるぞ、これ。
　「なんであんなできる奴がお前みたいな馬鹿たれの秘書なぞやっとるのか全くわからん」
　そっか、田村が。―――って、あいつ俺には何にも言わなかったくせにー！！！何が「どうして今まで何の報告にも上がらなかったんですか」だよ！！
　涙目で頭を擦った。痛ええええええ。
　あっ。ということは、執事のメイソンも田村から連絡があったことは知ってたんだな。だからさっき吹きだしやがったのか。あの野郎…！！
「田村からはお前の指示で、と賢についての報告を受けた。他の連中も速やかにな。田村の話ではお前はどうしても外せない案件があって、すぐに顔を出せなくて申し訳ないと伝えてくれと言ってたことになってるぞ。できた秘書だな」
「―――うっ」
「お前はともかく、賢のことは皆それなりに今でも気にかけている。普通とは言えない才能の部分も含めて、だ。あいつらにもそれくらいの気は遣え、馬鹿たれ」
「―――ごめん」
頭部も痛いがおやっさんの言葉も痛かった。……いや、やっぱ頭も痛え。結構。

　おやっさんはさっきの資料を手にしてひらひらと振った。それから俺に向かって差し出した。俺は今度は用心深く受け取って、おやっさんの仕事机と少し距離を開けてから覗き込む。内容は、賢の今回の入院に関する経過報告のようだった。爺たちの関心を満足させる程度にはそつなく、「花屋」から得た情報をまとめてあった。「暗黒の種」と俺というキーワードの可能性に関してはさすがに触れられてはいなかったが。

　「―――ん？」
殴られて血の巡りが良くなったのか、俺はふと気が付いた。
「おやっさん、賢のことじゃなかったんなら、俺に話ってなんだよ」
じろり、とおやっさんが俺を睨んだ。怖えー。なんだよ、まだ怒ることがあるのかよ。

　おやっさんがなぜか苦虫を噛み潰したような顔になる。何考えてんだろう。
「大輔、お前、―――結婚する気はないのか」
おやっさんの言葉を俺は何回か頭の中で反芻して、ようやく意味を理解した。
「―――はい？」
声が裏返る。

　「結婚？なんで？急に」
「別に不思議はないだろう。賢はもう日本で結婚している。お前だってそろそろ賢をふっきって身を固めてもいい頃だ。この間もそうだが、あいつらがうるさくお前に身内や知り合いを紹介しようとするのは全部が全部賭けてるからってわけでもないんだぞ。不憫に思ってる面もある。―――賢に何かあったからって、この間みたいにお前が動揺したところでお前には何の得もないだろうが」
「そりゃ動揺はしたけど。―――つか、普通誰かがぶっ倒れてたら驚くだろ。おやっさん達だって驚いてたじゃねえか」
「手堅いセキュリティを保証されているはずのあの場で、新商品を見慣れないやつにハッキングされれば驚くのは当たり前だ」
「―――あ」
「お前は賢のことで狼狽えて、あの場で真っ先に対処すべきことには気が回らなかった。あそこでプレゼンに使った資料はお前の社のデータだ。全てが公になってもいい内容だけだったか？漏洩してまずいものはなかったか？―――経営者として、そういうことに気を回したか？」
おやっさんの指がトントンと机を叩く。
「今頃その重大さに気付いても遅い。―――発売直前でセキュリティホールが発見されたのはジャックにとって良かったのか悪かったのかわからんが。それに、どっちにしろあのガキはお前を探してあそこに侵入してきたんだから、結果的にはお前がジャックの顔に泥を塗ったようなものだ」
「―――あー……」

　今ここで言われるまで、そんなことには考えが及ばなかった。確かにそうだ。ジャックからは何も言ってこないが、怒っているかもしれない。
「―――だが、システム自体はうちの馬鹿娘の設計だからな。お前ばかり責めるわけにもいかねえわけだ。―――で」
おやっさんは深々と溜息をついた。

　「お前もとっとと身を固めろ」
「―――だからなんでそうなるんだっつの」
「それが一番落ち着くからな。―――色々と」
「色々？」
「―――色々だ」

　しばらくおやっさんの顔を眺めていたが、それ以上の説明はなかった。
　俺なりにあれこれ考えてみたものの、おやっさんの考えが最終的になんで俺の結婚話に落ち着くのかわからない。賢のことで俺が取り乱すってのはともかく、俺が結婚したからって「花屋」が現れなくなるわけじゃないだろうし、おやっさんの娘が完璧なシステム組み上げるってわけじゃないだろ？俺の結婚とか、全っ然関係ねーじゃん。色々の意味がわかんねえ。

　仕方ねーな。おやっさん、相手してくれそうにねえし。俺は言った。
「―――気にかけてもらって本当に申し訳ないんだけど、俺、結婚とかする気ないんだ、おやっさん」
おやっさんは何も言わない。
「俺が好きなの、賢だし」
「何を今更。―――だったら、どうしてお前は、」
「え？」

　だがおやっさんは口をへの字に曲げて俺を睨みつけただけだった。
「―――今更でも、やっぱ賢が大事なんだってこの間思い知っちまったんだから、もう仕方ねーんだよ。……一緒にいるなら賢といる。でなきゃ独りでいるよ」
「―――息子がほしくはないのか」
「息子？―――息子でも娘でも、子供がいるのは楽しいんだろうけど、いないものは仕方ないし。会社の跡取りってことなら、任せられるやつがいればそいつに社長代わってもらっていいと思ってるし。俺は世襲制とか考えてないからさ、別に」
　子供がほしい、じゃなくて息子限定で聞かれたのは意外だった。おやっさんには娘しかいなかったから、息子にこだわってんのかな？でもジャックは義理でも上等の息子だろうと思うけど。
「―――いないものは仕方がない、か」
うん。俺は頷いた。だってそうじゃんか。

　おやっさんはしばらく唸っていたが、やがてぼそりと呟いた。
「―――もういい。話は終わった。帰れ」
「んだよ、呼びつけといて」
「いつまでも賢、賢とうるさく言いやがって。今になって騒がれても賢だって迷惑だろうが。お前の熱が冷めるまでは話にならねえ。帰れ」
うっ。クソ爺、痛いとこついてきやがる。
「へいへい、帰りますよ。悪かったな、賢賢うるさくて」
「―――田村にとっとと鞍替えしろと言っとけ。お前の下じゃ、あいつの能力は持ち腐れだ」
「余計なお世話だっつの。あいつは好き好んでわざわざ俺のとこ来てんだよ。勿体ないと思ってんのは、俺が一番わかってんだ、ほっとけ」
　あっかんべー。最後は子供の喧嘩みたいに舌を出し、俺は執務室を出た。




　　　　　　　　　　　　　　―　続く　―

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2019/02/13
色々ですよ。

背景画像は「Studio Blue Moon」様より頂戴いたしました。