―――あなたは『魔女』とは親しいのですか？


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　退院してから1週間が過ぎた。僕の周りで特に変わったことはなく、驚くほど穏やかな時間が流れていく。
　退院した日、係長から連絡があって、僕は表向き育児休業を取っていることになったらしい。
　結局鳥型デジモンに出勤途中で襲われた朝から仕事を休みっぱなしになっているので、1課の他の部署の人たちに変にあれこれ憶測されたくないからだということだった。
　僕が襲われたことは5係を含め一部の人間しか知らない。あの事件自体はただの自損事故になっている。
　ただ、その後も休んでいるのは事故で重傷を負ったせいではという噂が署内で広まり、係長はやたらと見舞い先を尋ねられ、返事に窮することになった。
　その後更にデジモンと遭遇して再度入院していたことやその理由を説明する訳にはいかなかったからだ。

　そこで、事故の怪我はたいしたことはなかったが、2人目が産まれたばかりなので1ヶ月間の育児休業を取っている、丁度課内で男性の取得率を上げるよう上からお達しがあったところなので、この際一乗寺にはモデルケースになってもらった―――と説明されているらしい。育児休業の申請書類は昨日滝さんが笑いながら家に届けてくれた。
　僕が復職してまた襲われないとも限らないので退院後しばらく様子をみたいという5係の意向もあった。
　あの子供が僕の出勤をあえて狙ったのだとしたら、自宅や職場を知られている可能性もあるからだ。警視庁の周辺で僕が狙われれば、嫌でも僕とデジモンの関係が目立ってしまう。それは避けたかった。

　実際には家で携帯やパソコンを使った自宅勤務だったし、僕が外出するときは護衛を兼ねて5係の誰かが同行している。それでも出勤しない分いくらかは家族と一緒の時間を過ごすこともできた。茜を幼稚園バスに乗せて見送ったあと、洗濯物を干して掃除をして、翼のミルクを作ったりする。茜が生まれたばかりの時よりあれこれできる時間が多いのは不幸中の幸いだ。
　翼が眠っている間に京さんとたくさん話すことができたのはよかった。
　彼女の柔らかな笑顔を見るとほっとする。
　申請したことになっている期間はもうすぐ終わってしまうけれど、今のこの時間は奇跡のように平穏だ。

　「買い物、それで全部か？」
自宅からは少し離れたスーパーで、僕の隣に立つ滝さんが買い物カゴを覗いて言った。
「ええ」
「一乗寺家は今晩ハンバーグか」
「惜しい。ロールキャベツですよ」
「ああ、だからキャベツ丸ごとなのか。なるほど」
　いまどき男二人の買い出しが珍しいわけでもないと思うけど、それなりに僕たちは周囲の目を引くらしくてスーパーのご近所の奥様らしき皆さんから遠巻きな視線を感じている。僕の外出に付き合ってくれるのは滝さんが多いし、彼の車が大きいせいで近所ではなく駐車場の広いこっちのスーパーに来ることが多くて、レジ担当の何人かは僕たちの顔を覚えているみたいでちょっと嬉しそうな顔になる。あの感じ、アメリカで大輔と一緒におやっさんのラーメン店に行った時に似ていて、なんだか複雑だ。僕たち、どういう関係だと思われているんだろう。まあ、食材しか買わないからなあ。一緒に暮らしてると思われても仕方ないか。いいけど。
　奇跡的に完全に修理された僕の車（滝さんの車より小さい）で出かければいいんだけど、鳥型デジモンに憶えられている恐れがあるから、という理由で滝さんに却下されている。だけど職場復帰したらどのみちあの車に乗るんだけどなあ、なんだかんだで滝さんは自分の車に乗りたいだけなんじゃないかと思いつつも。
　僕たちは3日分ほどの食材を買って、スーパーの駐車場を出た。帰宅ラッシュにはまだ早い時間だから道は空いている。他に寄り道する予定はないし、15分ほどで家に着くだろう。

　「京ちゃん、お前の体調とか心配してるだろ」
運転しながら滝さんが僕に聞く。
「前ほどは。退院するときは僕もう元気でしたし。まあいつもといえばいつも倒れてるんで、今更かも」
「笑うところなのか、それ」
滝さんが呆れ声で言う。僕は頷いた。
「そういえば入院ばっかりしてますね。……心配はかけてるなあ」
「反省しろ」
「してますよ、いつも。申し訳ないと思ってます。入院したり医者辞めたり警察官になったり、彼女の期待をいつも裏切ってるし、多分」
「まあ、女の子の期待に応えるのはいつも困難な課題ではあるけどな」
「そうなんですか？」
「俺みたいに育ちがよくて知性と教養があって外見もいい男は、女の子では苦労するもんなんだよ」
そう言うと、滝さんはふふんと笑ってみせた。なんだ、自慢か。
「金もあるしな」
止めか。
「って、お前口説いても仕方ないけどな」
「口説いてるんですか」
「要するに、京ちゃん泣かすなよ、っつってんだよ」
「その文脈おかしくないですか」
「おかしくない。―――俺は大体正しいからな」
　しれっとした顔で滝さんは言った。はあ、と僕は曖昧な相づちを打った。
　それきり滝さんは黙り込んだので僕も何も言わず、車の窓の外に流れる景色をぼんやりと眺めた。

　―――泣かすなよ、か。うん。

　今のところ、あの子供や鳥型デジモンの姿は見ていない。それらしい情報もない。急いで解決しなければならない問題だけど、復職までのあと数日が家族で過ごせる穏やかな時間であることを願ってもいる。

　ただ―――僕にはなんとなく腑に落ちないことがあった。

　京さんが穏やかすぎる気がする。
　勿論、心配ばかりさせた僕が無事家に戻ってようやく安心してくれたのだろうとは思うし、僕たち二人の間に毎日の会話もある。例の子供やデジモンの話だって、避けているわけではない。「早く解決したいよね」くらいの話は普通にしている。京さんの口から大輔の名前さえ出てくることもある。「太一さんが大輔の名前出しちゃってヒカリちゃんに蹴られたの、おかしかったよね」みたいに。当たり前に。―――そう、当たり前に。

　僕が勘繰りすぎているのだろうか。僕が入院していた間の、あの秘められていた傷心を、彼女はもう乗り越えてしまったのだろうか。この短期間で？
　そうであればそれはそれでいいことだし、僕たちの間が問題なく上手くいっていて変に思うのもおかしいのかもしれないけれど―――彼女の中で、僕と大輔の問題はそんなに簡単に消化できるものだったのだろうか？僕がそれを望んだのは事実だけど―――そんなに簡単ではないことも、承知していたつもりだったから。

　彼女の、今のやけに穏やかな感じは、以前にもあった。だから不安ですらある。あれはいつだった？

『―――賢君が大輔を助けない理由を、あたしは知ってるわ』

　そうだ、あの時の―――あの不思議なやりとりをした時の京さんと同じだった。
　彼女がそう答えた理由は入院中に太一さんに教えてもらった。僕は京さんには夫としての責任を感じているから助けるだろう、でも大輔には恋愛感情しかなくて、一緒に死んでもいいと思っているから助けないんだと。その答えが正しいとは思わないけど、それは置いておくとして。あの時、どうして彼女とそんな話になったのか。あれは―――そうだ、彼女が僕を助けるために子供を産もうとしていたと聞かされて、僕が問い詰めたからだ。
　あの時も、彼女はそんなことを考えている素振りはまったく見せなかった。僕が鈍いにしても、だ。
　今の京さんに、あの時の穏やかな彼女の姿が重なる気がする。

　―――考えすぎだろうか……
　入院中に大輔と話したことで僕自身に後ろめたい気持ちがあるせいだろうか。

　―――あの後、彼女はなんて言ったっけ。たしか―――

　「着いたぞ」
　滝さんの声で僕は我に返る。
「じゃ、この辺にいるからなんかあったら呼べよ」
「すいません、ありがとうございます」
僕は食材の入った袋を持つと、マンションの駐車場で車を降りて、エントランスを抜けると建物奥のエレベーターに乗った。自宅のある階で降りて、部屋のチャイムを鳴らす。はーい、と軽やかな声がして玄関のドアが開く。京さんの笑顔が僕を出迎える。
「だから誰か確かめてからドア開けてって言ってるのに。僕が泥棒だったらどうするんだよ」
「賢君だってわかってたもの。そろそろ帰ってくるかなって、茜と一緒にベランダからずっと見てたの」
「みたたおー」
「ねー」
「ねー」
「……はいはい。でも、気を付けて。本当に」
女性陣二人に声を揃えてそう言われては、怒る気にもなれない。
「わかってる。―――お帰りなさい。買い物ありがとう」
「うん、ただいま」
京さんは僕の手から袋を受け取って、入っていた野菜や肉を冷蔵庫に仕舞っていく。
「翼は寝てるの？」
「うん。―――滝さんはまだ見張り？」
振り返って彼女は言った。
「ああ。夜は吉永さんが来るみたいだね」
「大変よね。でも、賢君に何かあっても困るからありがたいんだけど」
「貴重な人材を僕なんかのために割いてもらうのは気が引けるけどね」
僕の言葉に京さんは黙って微笑んでいる。―――やっぱり、この感じ。

　―――気になる。

　さっき、車の中で思い出そうとしていた彼女の言葉をもう一度考える。あの時―――

　「あのね、賢君」
冷蔵庫に食材を仕舞った京さんは、そう言いながらキッチンの椅子を引くと、茜を膝の上に抱っこして座った。
「ん？」
脱いだ上着を玄関脇のコートハンガーに吊るしながら僕は短く答えた。
「考えたんだけど、賢君さ」
「え？」
僕もキッチンの椅子に座る。向かい合わせになった。京さんは真面目な顔をして、僕を見た。そして、言った。
「行って。―――大輔のところに」

　『―――離れても繋がっている人には、勝てない』
唐突にあの時の彼女の言葉を思い出した。やっぱり同じだ。あの時と、今の―――彼女の、この穏やかさ。

　僕は京さんが何を言ったのか一瞬理解できずにいた。それは、彼女の口からは出てこないはずの言葉。彼女が―――言ってはいけないはずの、言葉。なのに。

「―――え？」
そのまま、僕は言葉を失った。





　　　　　　　　　　　　　　―　続く　―

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2019/02/12
口説いてるんですか(笑）。

背景画像は「Studio Blue Moon」様より頂戴いたしました。