―――今はただ、混沌とした戸惑いと苛立ちの中にいる。


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　翌朝、京さんが病室に現れた。そろそろ高石とヤマトさんが顔を見せてくれるらしいから、と言って。そういえば昨日そう言ってたっけ。
「昨夜は眠れた？」
昨日のことはなかったかのように明るくて穏やかな、普段通りの口調だった。
「―――んー、どっちかっていうと昨日まで寝過ぎてたから」
「そうね」

　夕べは結局、電話を切った大輔が僕に何を隠していたのかをずっと考えていて、眠れないまま朝を迎えてしまった。
　よくよく考えたら、大輔の方から一方的に電話を切ることなんて今までほとんどなかったことに気が付いた。
　ということは、余程僕には言い難いことだったのだろう。―――そんなことを、一晩中考え続けていた。

　「あれから退院の話、あった？」
京さんが言った。
「いや、まだ。―――でも、特におかしな数値は出てなかったし、今日の午後か明日には帰れるんじゃないかな」
僕は答えた。
「そうね、賢君こないだまでお医者さんだったんだもの。自分の体調は自分が一番わかってるわよね」
京さんが笑った。
「あ、迎えとか考えなくていいよ。京さんの方が身体休めないといけない時期なんだから。自力で帰れるし、なんだったら滝さんに頼むから」
「わかった」

　そんな話をしていると、ノックの音がして高石とヤマトさんが病室に入って来た。
「よう。大変だったみたいだな」
「一乗寺君て、本当によく倒れるよね」
「ヤマトさん、ご無沙汰してます。もう元気だし、かえって申し訳ないです。―――悪かったな、高石。女の子みたいで」
「言ってないじゃない」
高石が眉を顰めた。
「思ってるだろ」
「わかる？」
「わかる」
僕と高石のやり取りを聞いて、ヤマトさんが笑った。
「なんだよお前ら。仲いいのか悪いのかわかんねーな。―――これ、プリン。食っていいんだろ？」
「わあ、ありがとうございます」
京さんが弾んだ声を出した。
「僕たちは前からこんなもんでしょ。―――あ、本。読んでくれてたんだ？」
　高石はサイドテーブルに置いてあった「デジタルワールドの冒険」に気が付いた。
「うん。―――ありがとう。まだ途中までだけど、読んでる」
「面白かった？」
「―――結構グサッとくるところもあるし、でも、僕自身は知らないこともあったから、面白いよ」
お陰で大輔のことばかりを考える夜になってしまったけど。
「君、最初悪者だったもんね。あはははは」
「―――やかましい」

　以前高石が持ってきた初稿には、僕がデジモンカイザーになってしまった理由が詳細に書かれていた。
　そこには高石なりの僕への理解があった。今は彼が僕の中の理不尽な思いを受け止めて、仲間として受け入れてくれていることが読み取れた。
　だから僕はあえてその詳細な部分を削除してくれるよう彼に頼んだ。
　なによりこの作品は児童書なのだし、「悪者」だった僕に必要以上の理解は不要だった。この本を通して知ってほしかったのは悪への理解ではなく、デジタルワールドへの理解。大輔やみんなが勇気をもってデジモンとデジタルワールドを守ろうとしたことだ。
　僕についていえば、自分の成したことを後悔して、最後はみんなと一緒に戦ったこと。それだけでよかった。
　だけど―――その配慮には、感謝している。

　高石に誘われて京さんが飲み物を買いに病室を出ると、ヤマトさんはベッドの横に来て、僕に話しかけてきた。
「太一から昨日連絡をもらって驚いた。―――お前を襲ったあのデジモン、俺もタケルも見たことがない。まあ俺たちが知らないデジモンがいたってそのこと自体は別に不思議じゃないが―――本当なのか」
ヤマトさんが僕を見る。僕は頷いた。
「操ってるやつがいる。―――昔の僕の、デジモンカイザーの姿をしていた。そして、例のデジモンをキメラモンと呼んでいた……」
「―――何者なんだそいつ」
ヤマトさんは腹立たしげに爪を噛んだ。
「―――まったく見当が付かない。あれはまるで、子供の頃の僕…時間を歪めて、あの頃の自分が帰ってきたみたいな気さえするんです。あいつ、自力で空間にゲートを開けるんですよ。訳が分からない」
「自力で？」
「ええ」
僕が見た限り、デジヴァイスやD-3は使っていなかったように思える。
「―――出現場所も予測がつかないってことか。厄介だな」

　―――あの頃の自分が帰ってきたみたいな。

　自分で口にしたその言葉にぞっとした。もし、本当にあれが「僕」だったら？今のこの僕は本当はただの夢で、本当の僕はまだデジモンカイザーとして悪びれずデジタルワールドを支配し続けているのだとしたら？
　あのまま、悪意を増大させているのだとしたら？
「――― 一乗寺？どうかしたか？」
「……いえ」
　馬鹿なことを。あの後経験してきた様々な想いが夢であるわけはない。
　不意にヤマトさんの手が僕の頭に乗った。ぽんぽん、と軽く触れる。
「ばーか。そう難しい顔すんな。京ちゃんが心配するだろ。―――俺が話振っといてアレだけど、大丈夫だ。お前が一人で抱え込む必要ないんだぞ。一乗寺、すぐ思い詰めるからな。―――これは俺たちみんなで解決する問題だ。忘れるなよ」
「……はい」
　ヤマトさんは念を押すように僕の顔を見て、笑った。
　太一さんにしろヤマトさんにしろ、あっさりと僕の心中を見抜いて笑顔で諭してくれる。治兄さんが生きていたら、やっぱりそうだったのだろうか。
　そういえば、滝さんにも少し二人に近いものを感じることがある。

　やがて高石と京さんがお茶と水のペットボトルを抱えて帰ってきた。
　どうやら高石は、京さんに聞かせることなく僕がヤマトさんと話ができるように計らってくれたのだろう。
　それから僕たちはプリンを食べながら太一さんのことやヤマトさんの宇宙飛行士の訓練の話をして、1時間ほどを過ごした。昼前に京さんと二人が帰ったあと、入れ替わるように羽島先生が来て、明日の朝が退院だと僕に告げた。
「沢中先生の具合はどうですか」
僕は尋ねた。
「点滴が案外よく効いてる。お前に共鳴するのって、どっちかっつーとメンタルの負担が大きいんじゃないかと思ってたが、わりと体力勝負なのかもしれねーな。頭はしっかりしてるから。明日には現場復帰できるんじゃないかな。まあ、お前に比べると回復が遅いのは年齢的なものかもしれない。あの爺さん、年齢からすると見た目はかなり若々しいけど。……あ、お前もだよな。初めて会った学生の頃と、あんま変わってねえもんな」
「いつの話ですか。僕、余程印象が薄いんですね」
「薄くはないだろ。まあ、変わらずきれいな顔してるな」
「それはあまり嬉しくないです……」
苦笑する。
「退院前に沢中先生に挨拶に伺っても？」
僕は尋ねた。羽島先生は首を小さく振った。
「それはやめとけ。―――沢中先生が言ってたけど、先生の種はまだ強い電磁力を帯びてるようなもんだ。電気は切れててもまだ磁力は残ってる。完全に落ち着くまで例の封印もできないらしいしな」
　例の封印―――そうだ、僕が帰ってくるとき、パキンと何かが割れるような高い音を聞いた。あれは先生の封印が解ける音。聞いたのは二度目だった。
「―――わかりました。じゃあ、お礼はまたあらためて伺いますとお伝えください」
「ああ。言っとく」
　彼は僕に繋がったままのモニターの数値を見ていた。
「羽島先生、―――昨日、僕に『お前だってまだ引きずってるだろ』って言いましたよね。あれ……大輔のことだったんですね」
病室の白い天井を眺めたまま僕は言った。
「ん？―――ああ、まあな」
歯切れの悪い返事だった。
「―――引きずってます。夕べ、それに気が付きました」
「―――そうか。だろうな」
ため息交じりに羽島先生が呟いた。
「でも―――だからって何がどうなるわけでもないんですけど。今更」
「そうだな」
　僕は黙った。羽島先生はモニターから視線を移して僕を見た。
「どうにかしたいと思ってるのか？」
「―――いえ」
僕は首を振った。
「だよな。どうにもならねえしな、―――今更」
彼は苦笑した。
「仮にお前が本宮大輔に今も惹かれてたとしても、それは今のお前の幸せを代償にするまでのものじゃないだろ？」
「……そうですね。わかってます」
至極真っ当なことを言われたと思った。

　―――大輔。君は昨日、僕に何を言いかけていたんだろう。

　それを考えることも、もう今更なのかもしれないけれど。 　 　　
　　　　　　　　　　　　　　―　続く　―

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2018/07/17
久しぶりに更新しましたが…今回、人が多いですね。

背景画像は「Studio Blue Moon」様より頂戴いたしました。