―――俺の言葉はお前を惑わせただけだ。


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　「さっき、京さん僕に『大輔じゃなくてごめん』って言ったんです。僕の手を握ってた時」
僕は太一さんに言った。太一さんは眉を顰めた。

　―――ごめんね、賢君。私、大輔じゃなくて。

　「そんなこと望んでないのに―――」
僕は黙り込む。
「一乗寺は望んでないよな。お前はあの京ちゃんが好きなんだから。だけど、京ちゃんは大輔になりたかったんだろう。―――それは仕方ないことだし、お前にもどうしようもないことだ。気持ちの問題だからな」
　それはその通りだとわかっているけど。でもやっぱりだから平気というわけにもいかなくて。
「―――実は大輔に話したんだ。一乗寺が今日精密検査受けるって。あいつ心配してたから、それで今日俺の携帯に着信あったんだと思う。悪かったよ、うっかり口にしちまって。京ちゃんが落ち込んでたのわかってたのにさ」
「ああ―――だからだったんですね」
　通りで僕を呼んだ大輔の声が切羽詰まっていたわけだ。大輔は僕の状態がよくないことを、事前に承知していたんだな。
　驚くというより、ひどく心配していた。
「大輔、一乗寺に『やっぱり好きだ』って言ったんだってな。だから今更どうこうってのはないらしいけど」
太一さんが言った。「はい」
「それ聞いて俺、よかったなって言ったんだ、あいつに。―――その気持ちに気が付けてよかったな、って。お前も同じだと思ってる。さっき気持ちが揺れてるって言ってたけど、否定しても仕方ないと思うんだ。選ぶべきものは選んでる。でも、選ばなかったものを嫌いになれってのは強引だと思うしな。タイミングが悪くて京ちゃんじゃなく大輔がお前を起こしたのか、それとも大輔だから起こせたのかわからないけど、後者でもおかしくないと俺は思ってるんだ。―――まあ、なんだかんだで俺あいつ弟みたいで可愛いと思ってるから、庇っちまうのかもしれねーけどな。たまにすっげー馬鹿で頭にくるけど」
　うん、兄が弟の話をするときってこういう顔になるんだろうなあ、と納得してしまう笑顔を浮かべて、太一さんは言った。
「―――はい」
大輔を少し羨ましく思いながら、僕もつられて笑顔になった。
　太一さんはふと何かを思い出したらしく、あ、と呟いた。
「そうだ、大輔にも動画見せたけど、あいつもチビモンもあのデジモンには見覚えがないそうだ。他のみんなも憶えはないって言ってるし……京ちゃんにはさすがに聞けてないけど、多分知らないだろうな。光子郎がなんとかゲンナイさんにも連絡取ろうと頑張ってる。そっちから情報入るといいけどな」
　そうか、大輔もあれを見たんだ。不思議な感じがした。
「なんとかって、ゲンナイさんと繋がらないんですか？」
デジタルワールドへは簡単に行き来できなくなってはいたが、やりとりはできていると思っていたけれど。
「繋がらないわけじゃない。でも、こっちの世界で扱う情報量が一気に増えたせいで、デジタルワールドが影響を受けてる。繋がり難くはなってるみたいだ」
「そうですか……」
「そろそろ来るんじゃないかな、光子郎」

　噂をしていると、本当に光子郎さんが病室に現れた。
「遅くなって」
光子郎さんは僕より余程青い顔で具合はどうかと心配してくれた。
「今日も病室の前に刑事さんいるんですね。面会謝絶の間だけかと思ってました」
「しばらく僕の警護をするからって。―――面会謝絶だったんですか。知らなかった」
「一乗寺君は意識がなかったですからね。家族以外は病室に入れなくて。沢中先生と話はしましたが、直接君の姿は見ていなかったので僕も心配してました」
光子郎さんは微笑んだ。「無事でなによりです」

　僕は太一さんと光子郎さんに、あの日光子郎さんのマンションで話せなかったままになっていた、遭遇劇の詳細を語った。謎の少年がデジタルゲートの向こうに消えた時、デジモンカイザーの姿をしていたことを話すと、二人とも驚き、顔を曇らせた。
「なぜわざわざあの姿をしているのかわからない。デジモンカイザーの正体が僕だと知っているのかどうかも不明です。でも、どこかでカイザーの存在については知識を得ている。出所は見当がつきません」
「まあ、ネットでも七不思議みたいな感じでカイザーの情報は残ってるみたいだしなあ。知っていても不思議じゃないか」
「名前程度なら。でも、姿はほぼ同じだったと思います。―――画像データが残っている可能性は低いと思うけど……完全にないともいえないのかもしれませんが」
　僕たちは黙り込んだ。丁度そこへ、ヒカリさんと京さんが戻ってくる。話を聞かれなくてよかった。また動揺させてしまうところだった。

　京さんは光子郎さんに深々と頭を下げて、「この人ほんっっっとに馬鹿なんです！！」と頬を膨らませた。その様子に場が少し和む。病室を出た間にヒカリさんが京さんを元気にしてくれたのか、京さんが無理をして明るくふるまっているだけなのか。どちらにしても面会時間の終了が迫っていて、京さんを残して皆は帰っていった。
「タケル君とヤマトさんが明日の朝こっちに顔出すって、さっき連絡あったよ。ヤマトさん、一昨日帰ってきたみたい。他のみんなからも連絡来てたでしょ。私のとこに来てたのは転送しとくね」
京さんは言った。
「ありがとう。高石には本のお礼を言わなきゃと思ってたから、丁度よかった」
僕はベッドに上半身を起こして座っていたが、京さんは僕に背を向けて鞄に荷物を詰めていたので表情が見えない。
「京さん」
「ん？」
振り向いた京さんはいつもの様子で、僕はなんだかほっとした。そして、伝えておかなければと思った。
「―――僕と結婚してくれてありがとう」
「なに？急に。―――ありがたいと思ってるんなら、大事にしてよね。賢君て変なとこ頑固なんだから困っちゃう」
「―――うん」
ああ、耳が痛いな。胸も痛い。この人に、どうして僕は僕の全部を向けられないのだろう。
「じゃあ、私もそろそろ帰るね。茜と翼、お迎え行かなきゃいけないし。二人ともパパは？って大変なんだよー」
「翼も？」
「翼も。目がそう言ってる」
生まれたばかりの乳児がそんな意思表示をするとは思えないけど、京さんがそう言うならそうなのかもしれない。僕は苦笑する。
「明日の午後には帰してもらえると思うから、もう一晩だけ二人のこと、よろしくお願いします」
僕はベッドの上で頭を下げた。京さんは「じゃあね」と言って手を振りながら病室を出ていった。彼女の足音が遠くなっていく。やがて、聞こえなくなってしまった。

　僕はベッドにもたれ込んだ。目を閉じる。意識せず、深い溜息が出た。
　今日の出来事が頭の中を駆け巡る。思った以上に疲れていた。ずっと寝ていて起きたばかりなんだ。当たり前だった。

　ふと病室の扉がノックされて、滝さんが姿を現した。右手に食事が載ったトレイを提げている。夕食の時間だった。
「晩飯だとよ。もらってきてやったぞ」
滝さんは片手で器用に可動式のミニテーブルをベッドを跨ぐように移動させ、その上にトレイを置いた。
「ありがとうございます」
「なんなら食べさせてやろうか？」
滝さんが僕をからかう。
「―――遠慮しときます」
滝さんはふっと笑ったあと、僕の顔を覗き込む。眉を顰めた。
「まだ青い顔してるなあ。一乗寺、鍛えてるけど細いんだからしっかり食っとけよ。―――俺は外で警護してるから、なんかあったら大声で呼べ」
僕は頷いた。

　退屈なので、テレビでも見ながら夕食をとることにする。リモコン、たしかサイドテーブルの上にあったはず―――あ、あった。はずみで、隣に立ててあった高石の本が入った袋も倒してしまう。
「おっと」
リモコンをベッドの上に乗せ、はみ出した本を袋にしまう。―――夕食の後で読もう。本を立てかけ直す。その時、指が固いものに触れた。僕の携帯だった。電源を入れる。メールが数件届いていた。京さんから転送されたものだ。後で返信しなくちゃ。
　着信も何件かあった。履歴を確認する。京さん、係長、僕の母、京さん、京さん、光子郎さん―――これはあの動画を送った後だ、京さん―――もう、って怒っていた時だ、京さん、太一さん、数件続けて京さん、滝さん、京さん―――大輔。その文字を見たとき、心臓が強く打った。
「大輔―――」

　『―――会いたい』
その声を思い出し、耳が熱くなった。唇を噛む。―――駄目だ、僕は。
　携帯の電源を切ってサイドテーブルの上に押し戻した。リモコンでテレビの電源を入れる。トーク番組をやっていた。会場から大袈裟な笑い声が聞こえる。―――何でもいい。この鼓動が聞こえなくなれば、なんでも。
　チャンネルを何回か切り替える。学園ドラマをやっていた。京さんが好きでいつも見ていたものだ。これでいい。
　僕はストーリーが全く頭に入らないドラマを見ながら、味付けの薄い夕食を食べ始めた。
　 　


　　　　　　　　　　　　　　―　続く　―

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2017/10/12
嫌いにはなれないので。

背景画像は「Studio Blue Moon」様より頂戴いたしました。