―――大輔に、会えなければ…


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　待っている間に太一さんにもう一度連絡を取ってみたが、今度も繋がらないままだった。沢中のおっさんは今のところネットにログインしていないこともわかった。メールは送ってあるが、今のところ返信は来ない。こうなると賢は本当に無事なのか、疑問だった。
　こちらから「花屋」のシステムに侵入した痕跡を残したままにするのは賢いやり方ではないとわかっていたが、今はたとえ「花屋」からでも賢についての確実な情報がほしかった。俺は根気よく待つことにして―――2時間後、冷気に覆われた部屋に「花屋」は本当にもう一度現れた。

　『―――へえ。僕にデータを奪われるかもしれないリスクより一乗寺君を選んだんだ。ちょっと感心しちゃったよ、大輔』
部屋の中央の大型ディスプレイの中で、目を丸くして「花屋」は言った。
『本当に道を残したまま待ってたんだ』
口笛でも吹きそうな声だった。

　賢の検査で負荷がかかるといっていたのは本当だったらしく、2時間前の大雑把さが嘘のように、今回はやつのオフィスから生中継でもしているかのようなリアルな画像だった。口調がやたらと大人びていること以外には、作られた不自然さは全くない。言われなければ実在する人間だと思うだろう。沢中のおっさんの面影を残す、整った顔をした子供。
「呼び捨てにすんな」
『だって僕には一乗寺君の思考パターンも混じっているんだもの。君のことを「大輔」って呼びたくなるのは当たり前の感情じゃない？』
イラッとするからそこで小首を傾げるなよな。

　「―――で？賢は無事だったんだろうな」
苛立ちを抑えて俺は尋ねる。それが知りたくてあえて「道」を残したんだ。
　「花屋」はニヤッと笑ってみせた。
『横柄な態度で聞かれて素直に教えてあげるのも癪だけど、まあいいや。無事だよ。特に身体に異常はなく帰還できた。しかもラッキーなおまけつきでね』
「ラッキーなおまけ？なんだそりゃ」
何があったのだろう。だがとりあえず、賢は無事らしい。とにかく、よかった。
『SIESTAの中で一乗寺君の意識はいわば迷子になってたわけだけど、こっちに戻る際に道を整えたというか―――満杯に近かった彼のデータの一部が再構築されて、心身に余力ができた。つまり、寿命が延びた。少しだけね』
「本当か」
『本当だよ。ただし、今回の事件そのもので彼が受けたダメージが大きすぎて、元々彼の寿命は一気に風前の灯火というところまで短縮されていた、というのが前提で。それが伸びただけだから、決して長くもないけどね。今回受けたダメージが100パーセントから80パーセントに減った程度だよ』
　それがどの程度ラッキーなことなのか、具体的にはわからない。それでも今日明日ということではないだろう。それだけでも、救われる。
「―――なあ」
安心したら少しは頭が冷静になったのか、俺の中で疑問が湧いた。
「お前はどうやって賢の寿命を計算してるんだ？何か具体的な基準があるのか？」
寿命なんて、普通はそんな簡単に伸び縮みするもんじゃないだろ。血圧とか、体重とか、心電図とか、よくある検診みたいなデータで判断できるならわざわざSIESTAに「花屋」を呼んでまで調べたりしないはずだから、SIESTAでなければならない、何か特別な判断基準があるのだろうが。
『一乗寺君の場合には普通の人間とは違って、明確な基準がある。彼が常に身体の中で彼自身のデータを破損させずに蓄積し続けているってことは知ってる？』
　花屋が言った。
「前に、沢中のおっさんから聞いた。賢の中の、暗―――」
言いよどむ。話してしまって大丈夫なのか。賢を危険にさらすことにはならないだろうか。
『「暗黒の種」だね。知ってるよ』
「……知ってんのか」
もしかしたら、とは思ったけど。やはりそこまで把握されているんだよな。
『一乗寺君を今、検査してるのは僕だよ』
「花屋」はもっともなことを言った。

　思えばこいつに賢の身体に巣食う「暗黒の種」のことを知られたくなくて、俺たちは抗おうとしていたのに―――ある意味、「花屋」が賢自身を知ってしまったことで俺たちに歩み寄ったというのも、皮肉なものだ。結局、こいつと戦って得たものは、俺と賢の関係の破綻だけだったのか。悲劇か？いや、喜劇だよな、もう。
「―――賢の中で『暗黒の種』が働かなくなったことで、賢のデータが圧縮できなくなってるのは聞いた。あと、デジモンに関するものに接すると、影響受けて寿命が縮むってのも」
だから沢中のおっさんは賢を異動させたって聞いたことがあるし。
　「花屋」は俺をじっと眺めたあと、言った。
『そのきっかけがワームモンだったことも聞いてる？』
「―――いや、初耳だ」
　知らなかった。ワームモンのことはおっさんにも賢にも聞かされていない。俺が知っているのはただ、人間を憎悪するデジモン本体や、デジモンと接触した何かに残された残滓に触れると賢が影響を受けるってことだけだ。
　呆然とする俺を見て、「花屋」は同情するような目をして、事の始まりは失った賢の記憶を取り戻す際、ワームモンの身体を経由したせいだと語った。
「失った記憶―――って」
　すぐに思い当った。もう既に遠い過去になってしまった、あの日のことだ。賢が俺を思い出した日。デジタルワールドで俺たちが再会したあの日、その再会のために賢が選んだ方法が。更に遡れば、賢の記憶を消滅させないためにワームモンが自分を器にして守ったことが。俺が、ワームモンをデジタルワールドに託したことが。

　賢が、俺を思い出そうとしたことが。―――巡って、賢の命を縮めようとしているのか。なんで。
　もう何年も経ったのに、今でもそこだけはありありと思い出せる。思い出せば時間が引き戻されるようなあの日が。切実に願ったその気持ちが。―――どうして、今になって。

　そんな話を沢中のおっさんや賢が、わざわざ俺に伝えるとも思えなかった。「花屋」から聞かされてよかったのかもしれない。

　『そんな顔しないでよ、大輔。僕、一乗寺君に怒られちゃうじゃないか。それに、もう起きてしまったことで落ち込むのはナンセンスだ。もし君が何か考えるのなら、それは今後のことであるべきだ。過去に向かって可能性を広げることはできない』
　「花屋」は案外まともなことを言った。それはそうだと俺も思い―――そうだ、「今更」だ。こいつに引かれるような顔をしてる場合じゃねえだろ。
「―――わかった」
　うん、と「花屋」は頷き、画面の中で居住まいを正した。
『話を戻すよ。僕が一乗寺君の寿命をどうやって算出しているかということだけど。つまり、ワームモンの身体を経由した影響で、一乗寺君はデジモンに関するいろんなデータを強制的に身体に取り込む体質になってしまってる。進化や退化で自らに取り込んだデータを再構築できるデジモン達には自然なことでも、人間は進化や退化をしないから、負担が大きい。受け入れたデータが許容量を超えれば器である彼自身が壊れてしまうのはわかる？―――それが、彼の寿命ってこと』
「壊れる―――」
『もっとも、「暗黒の種」が機能していた時には、休眠していても身体の中でのデータの再構築は行われていたみたいだね。だから彼はなんとかなってた。今は種そのものが停止している。機能していないんだ。ただ、一乗寺君の身体の中にあるだけで。だから、入ってくるデータを選別も再構築もできずにただ蓄積し続けてる。―――ここまでは理解してもらえた？』
花屋は言った。
「―――ああ」
「マール。それならばなぜ、一乗寺先生は今回多少なりとも寿命を回復することができたのですか。何か、蓄積したデータを消去する方法があるということでしょうか」
『いいことに気が付いたね、田村さん』
「花屋」は褒められた時の子供のような笑顔を田村に向けた。
『今からそれを話そうと思ってたとこだよ。さすがだね』
「恐縮です」
田村と「花屋」の間に和やかなムードが漂った。だが、俺はそれどころではない。―――ちょっと待てよ。
「消去できるのか」
つい、声が大きくなる。
『まだ確定じゃない。僕も検証中だ。それに、おそらく「消去」ではなくて「再構築」。記憶を保有する器に、情報を整理整頓することで余裕ができた、というのが正しいと思う。……これって、どういうことだと思う？』
「もしかして―――暗黒の種が機能してる、ってことか？」
『ビンゴ』
「や、だって賢の中の暗黒の種は休眠じゃなく停止してるんだ、ってさっきお前言ったばっかじゃん」
だから機能していない。その、舌の根も乾かぬうちに、今度は機能しているとか言われても、だ。
『そうだよ。―――普段はね』
「普段？」
『うん。―――つまり、一乗寺君は時々、「暗黒の種」を再起動させてるんじゃないかな。だから、蓄積されたデータが最適化されて寿命が延びる』
「賢が？種を？」
『おそらくは無意識にね。今のところ一乗寺君の意志とは関係なく、種が勝手に再起動しているんだと思う。一定時間蓄積されたデータを整理したら、また停止しているんだろう。種にとっては一乗寺君は宿主なわけだし、一乗寺君の生命の危機はそのまま種にとっても生存の危機になるわけだから、データの再構築は種にとっても必要な作業だと考えられる』
「じゃあ、賢の命が危なくなったら、自動的に種が起動するのか」
ならば賢も最悪の事態は免れることになる。
『そうじゃない。実際、今回だって一乗寺君は相当に危険な状態だった。許容量の限界からすれば、あのままあの世に行ってもおかしくなかったんだ。もし種が自動的に起動するのなら、一乗寺君のデータは普段からもっと安定しているはずだ。これだけ不定期なのは、種も自分の判断では起動できないからだと思う』
「でも―――再起動してる」
『そうだね。だから、それには理由があるはずだ。種が再起動する理由。――― 一乗寺君の状態が良くなった時の彼の記憶を分析してみたら、一つの仮説が立った。それで今回、その仮説を検証してみた。更に検証を重ねる必要はあるけど、仮説は合っていると思う』
「仮説？」
『僕が元々「暗黒の種」の完全なデータが欲しかったことは大輔も知ってるんじゃない？だから、一乗寺君の身体の中で眠る種を起こすために、種に対して時限爆弾となるコードのキーワードを書き変えたことがあるんだけど……それは一乗寺君が父親になったことで阻止されてしまったはずだった。でも、検証の結果、おそらく一定の条件下ではそのキーワードが生きているはずだという結論に至った。一乗寺君にとっては枯れた種を蘇らせるほどのキーワード。余程大切なものなんだね』
「花屋」がにっこりと微笑んだ。
『あの時、僕が仕込んだキーワードは「本宮大輔」。君だよ。―――電話などで一乗寺君が君と接触すると、種が再起動する。間違いないと思う』
「―――俺？」
　訳がわからなすぎて眩暈がした。

　―――俺？俺が、賢の「暗黒の種」を再起動させるキーワード……？



　　　　　　　　　　　　　　―　続く　―

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2017/09/29
距離が近づいてきましたよ。

背景画像は「Studio Blue Moon」様より頂戴いたしました。