―――忘れることができない僕がいる。


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　目の前で起こったことの訳が分からず、俺は頭を抱えて「あ？」だの「え？」だの呻いていた。
　爺たちは興奮気味に俺に問い質してくる。あのなあ。あれが何だったのか聞きたいのは俺の方なんだよ貴様ら。
「寝てたのは賢だったな？あの子に何があったんじゃ」
「大輔、賢お嬢にはとっくに振られたんじゃろ？」
「あの態度のでかい子供は誰じゃ」
わあわあ。
「知るかーーーー！！！」
俺は怒鳴った。
「俺に聞くな！俺だって何が何やらわかんねーんだから！！―――つか、ちょっと考えさせろ！！」

　喚いてから、椅子に座り直す。混乱している。
　わかっているのは、さっきの状況はおそらくリアルタイムな映像だったのだろうから、つまり―――賢はまだ意識を取り戻していないっぽい。
　それから、いつもは俺の自宅のパソコンに侵入してくる「花屋」がわざわざこの会場に現れたのは、賢が目覚めていないことと関係があったはずだ。俺を探してた、と言っていたからな。俺がパソコンの前にいないってだけなら探す必要まではなかっただろうから。賢が「危険な状態」だとも言った。挙句、何がどう危険なのか説明もせずに、笑って消えやがった。
　それから10分程待ってみたが、「花屋」が再び現れる気配はない。
「あの野郎……」
　俺は背後の田村を振り返った。田村は心得たもので、俺の意図をすぐに察したらしく、軽く一礼して会場を出ていく。食事はまだコースの途中だったが、俺はナプキンで口元を拭ってから立ち上がり、チビモンを抱え、隣の席のおやっさんにまず頭を下げた。それからぐるりと全員を見回して、もう一度頭を下げる。
「申し訳ありませんが、所用で失礼させてもらいます。―――悪いな、爺ども」
全力で出口に向かって走り出す。背後で爺さんたちの歓声やら罵倒やら笑い声やらが聞こえた。勝っただの負けただの、やかましい。頑張れよ、はありがたく。

　1階ロビーに降りるため、エレベーターホールに向かった。タイミングよく到着を告げる壁のランプが点灯し、ポーンと高い音が鳴った。丁度俺の目の前の1基の扉が開く。中から人が出てきた。俺は入れ替わりに乗り込もうとして、一瞬、足が止まった。振り返る。―――この香り。
　白いワンピースの長い裾を翻し、彼女もこちらを見つめていた。その綺麗な顔の上に、柔らかな笑みが浮かぶ。
「大輔」
「―――さくら？」
「チビちゃんも一緒なのね。こんにちは」
「こんにちはーっ」
　エレベーターホールの仄かな光を背景に、開いたエレベーターから洩れる明るい光を受けて、彼女の立ち姿は絵画のように華やかに見えた。
「え？お前、なんでこんなとこいるんだよ」
「なんでって―――まあ、仕事？」
さくらは小首を傾げた。
「仕事？」
そういえばさくらは以前、俺のビルのセキュリティを易々と突破して俺のマンションに現れたことがある。
「まさか、エレベーター破り…」
そんな仕事があればだが。
　さくらは眉を顰め、呆れた声を出した。
「はあ？何それ。馬っ鹿じゃないの。―――それより、あなたは？なんだか急いでたんじゃないの？」
言われて我に返る。目の前で扉が閉じようとしていた。「うわ」
　チビモンが俺の肩からぽんとジャンプして、閉じようとする扉を抑えた。
「サンキュ。―――悪い、この埋め合わせはまた今度すっから。じゃっ！」
俺は今度こそ乗り込み、ロビー階のボタンを押した。
　閉じていく扉の向こうで、「埋め合わせって、何の埋め合わせよ。ばあか」というさくらの声が聞こえた。そりゃそうだ。

　エレベーターが1階に着くと同時にまた駆け出して、ロビーをつっきって外に出る。チビモンは俺の肩から振り落とされないように必死でしがみついている。入口前の乗車場では、田村がすでに車を回して待っていた。
「試してみましたが、こちらから『花屋』に直接アクセスすることはできませんでした。やはり戻ってうちのサーバからでないと」
田村が言った。俺を待っている間に、車に乗せた端末から接触を試みてくれたらしい。
「わかった。家に戻る」
そう言いながら、チビモンと俺は車に乗った。

　俺は携帯から太一さんに連絡を取った。勤務中なのか、繋がらない。いや、もしかしたら太一さんは賢の検査に立ち会ってて、賢が危険な状態だから俺の携帯なんか気が付いてないのかもしれない。次にかけた光子郎さんの携帯からは「現在電話に出ることができません」というメッセージが流れた。移動中なのだろうか。もしかして、賢の容体が悪化して、光子郎さんも病院に向かっている最中なのかもしれない。嫌な考えばかりが浮かぶ。
　花屋の野郎、意味深な登場と退場をしやがって。気になって仕方ねえだろ。続きを連絡して来いっつーんだよ。
　余程京に連絡しようかと思ったが、さすがにそれは思い止まった。離れている俺ですら、賢のことではこんなに動揺している。「花屋」があんな形で俺に接触してくるほどのことが賢の身に起きているのだ。京が平気なはずはない。
「―――大丈夫ですか、大輔さん」
田村がミラー越しに俺を覗き込んでいる。「顔色がよくありません」
チビモンも頷いている。「青い顔してるよ」
「―――ああ、大丈夫だ。焦ったって仕方ねえ、ってわかってんだけど。―――俺、こういう自分で解決できないプレッシャーには結構弱いんだよな」
我ながら、情けない。苦笑してしまう。
「―――少し、我慢していてくださいね」
田村が言った。―――我慢？
　突然、身体にGがかかる。田村がスピードを上げたのだ。隣車線を並走する車をスレスレのところで追い抜いて前に出る。普段とは違う路地を抜け、大幅なショートカットをして元の大きな道に出る。つまり危険な運転なわけだが、その連続で、帰りは行きの半分の時間で戻ることができた。―――俺もチビモンも、吐きそうだけど。

　地下の駐車場に車を止めて、エレベーターに乗る。コンピュータールームのある19階まで一気に昇る。
　上昇していくエレベーターの中で、俺はふと思い出した。
「そういやさっき、さくらに会ったんだよな」
「さっきのホテルでですか」
「ああ。俺が乗ろうとしたエレベーターから降りてきた。なんか、仕事だつってたけど。―――あの階、ワンフロアだった気がするけど他にも会場あんのかな？他にイベントの案内見た記憶がねーんだけど」
「―――さあ、どうでしょうか。私も自分が手配していない場所は詳しくないので」
田村は思案顔だったが、それ以上は何も言わない。その話はそれっきりになった。

　19階に着き、俺と田村は生体認証の後、コンピュータールームに入った。チビモンは同じ階の田村の部屋で待つように言った。できるだけ「花屋」と接触させたくなかったからだ。
　足を踏み入れると自動的に部屋の灯りがつく。冷気に覆われた部屋で、田村が1台のコンピュータの前に立つ。キーボードから何かを打ち込む。やがて、小さなウインドウが開き、画面にものすごい速さで数字や文字が流れていく。しばらくして、ようやく画面の動きが止まった。カーソルが同じ位置で点滅している。田村がパスワードらしきものを入力した。文字だらけの画面が消え、映像が現れた。どこかの部屋だ。ただ、画像が荒く―――というより、作りこまれていないせいでリアリティに欠ける印象だった。部屋の真ん中に大きな机があって、背の高い椅子が置かれている。イメージは社長室の調度品、といったところだろうか。その椅子に、座っている人物がいる。
「マール」
田村が話しかける。大きな椅子には不釣り合いな子供の姿をした「花屋」は視線を上げた。
『やあ。こっちに来ちゃったのか。さすがだね。―――でも、こんなに堂々と僕に会いにきていいの？こっちからも侵入できる穴を作ってることになるのに』
田村は少し微笑んだが、返事はせずに少し脇により、どうぞ、と俺を促す。コンピュータールームの正面の大型ディスプレイには、目の前の端末の画面と同じ画が映し出されている。俺はそちらを見ながら話しかけた。
「賢はどうなってる」
『大丈夫、君のお陰でこっちに意識が戻ってきてくれたからね。検査は続いてるから、まだ眠ってるけど』
「よくわかんねーけど、無事ってことでいいんだな」
『とりあえずはね。―――悪いけど、君との話はここまでだ。今日は一乗寺君の検査に僕の処理能力をかなり割かなきゃいけないから、パフォーマンスを落としたくない。反論はないだろ？』
「あ、おお。―――悪い」
『結果が知りたければこの道をあと2時間残しておいてくれる？普段僕が使う経路は、検査が終われば僕はSIESTAから遮断されてしまって使えないから。無論、僕がそこを侵蝕する可能性は否定しない。それが嫌ならさっさと開けた穴は塞いでおくんだね』
　「花屋」は冗談とも本気ともつかないことを言い、嘘っぽい部屋ごと画面から消えた。映しだされていた部屋にリアリティがなかったのは、奴の言葉通り処理能力の多くを賢の検査に割いているからだろう。2時間残せということは、2時間すれば検査は終了する予定ってことか。

　結局、接触が短すぎて詳しいことは全然わからないままだが、肝心なことはわかった。とりあえず、賢は無事だ。それがわかっただけでも今はありがたかった。
「―――はあ…」
気が張っていたらしく、ぐったりと疲れた。急に部屋の寒さが身に染みてきた。
「さっむ。出ようぜ、風邪ひいちまう」
「ええ」
冷えたせいか足がもつれそうになった。コンピュータールームを出る。廊下が温かい。
「私の部屋でコーヒーでも淹れましょう。チビモンも待っていますし」
田村が同じ19階にある自分の部屋に向かって歩き出す。
「そうだな。ありがとう」
俺はまだ冷えてカクカクした足取りで、彼の後を追った。


　　　　　　　　　　　　　　―　続く　―

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2017/09/03
大輔さんは当然、この後の賢の苦悩をまだ知りません。

背景画像は「Studio Blue Moon」様より頂戴いたしました。