―――『彼』に会うのはさすがの君でも緊張する？


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　僕はSIESTA本体の隣の部屋に寝かされていた。検査を受けていたらしい。光子郎さんと話していたはずが、今ここにいるということは―――
　あちこちに色々迷惑をかけたことだけは、嫌でもわかった。

「―――沢中先生は」
モニターで僕の状態を確認していた羽島先生に尋ねた。
　夢を見ていたのでなければ、たしか沢中先生が僕を助けてくれたはずだけど、今は姿が見えない。
「先生は強制的にお前を連れ戻すのに無理をしたから、2、3日は休養することになりそうだ」
　やっぱり、と思う。僕が倒れるほどのダメージがあったのだから、沢中先生だってかなり影響を受けているはずだ。
「―――つくづく手のかかるやつだな、お前は。でもまあ、気にするな、だとさ。お前落ち込むと鬱陶しいから、って」
「鬱陶しい……」
「冗談に決まってんだろ。―――まあ、俺もできればお前の検査は定期のやつだけにしてもらいたいね。この場所でお前に会ってると、やっぱり気が咎めるからなあ」
沢中先生の代わりに僕の主治医にされたという羽島先生は、そう言って苦笑した。

　この場所で、気が咎めるのなら、それはやはり羽島先生がもう一人の僕に翻弄された、あの日のことを言っているのだろうけど。
「―――意外に引きずってるんですね。あの時のことなら、忘れてもらった方が僕もありがたいんですけど」
「お前だって、引きずってるだろ」
「僕はもう、気にしてませんから」
「俺のことじゃなくてさ。―――まあ、いい。今更だった。気にするな」
羽島先生はそう言うと、何か考えるようなそぶりを見せたが、「また後でな」と言い残して部屋を出ていった。

　何を言おうとしていたんだろう。今までもう何度もSIESTAで検査を行ってきたし、羽島先生もいつも同席していた。今更「気が咎める」なんて、今まで黙っていただけで、いつもそう思っていたのだろうか。彼は今は公私とも充実していて幸せそうだし、後ろめたさはもう乗り越えてしまったと思っていた。

　あれこれ考えていると、羽島先生の傘下のスタッフたちが僕を迎えにやってきた。知った顔が一人いた。僕を病室に運ぶということだった。
　1週間近く意識がなかったのだと、彼らに聞かされた。1週間。京さんに合わせる顔がない。どれだけ心配させたのか。
　ずっと僕を呼んでいたと思う。声が聞こえていたから。早く会って、彼女を安心させたい。

　まだ身体中に計器がつけられているから、ストレッチャーで移動する。
　SIESTAから続く特殊棟から一般棟に戻ると、病室の前の長椅子に小暮さんが座っていた。僕の姿を見て笑顔を見せる。
　勤務中じゃないのだろうか。それとも、これも勤務のうちなのだろうか。
「やっとお目覚めか。―――京ちゃん、待ってるぞ」
そう言って病室の引き戸を開けてくれた。

　入口のカーテンの向こうに京さんが立っていた。影を背負っているように、やつれて見えた。
　―――華奢な人だったけど、こんなにも細かっただろうか。
スタッフが一礼して静かに出ていった。背後で扉の閉まる音がする。小暮さんは病室にはついてこなかった。
　窓から柔らかな薄日が差す静かな病室の中で、京さんは黙って立ちつくしていた。
「……ごめん」
「―――馬鹿っ」
彼女は僕の顔を見るなりまた泣き出して、僕は何度も責められて、何度も彼女に謝った。
　京さん自身、出産後に退院してからまだ2週間経っていない。身体が大変な時期なのに心まで負担をかけてしまった。
　だから、怒ってくれる方がまだありがたい。気持ちをぶつけられるなら、受けとめることもできるから。
　「馬鹿」でも「大嫌い」でも罵倒は甘んじて受けよう。ただ、「心配したんだから」だけはとにかく刺さる。事実だと知っているからだ。

　散々僕を叱った後、彼女の涙が止まるまで更に30分ほどかかった。それから黙り込んで更に30分。
　ようやく気が済んだのか、京さんは「皆に連絡しなきゃ」と言って持っていたバッグから携帯を取り出した。
　茜と翼は井ノ上のお義母さんが見てくれているそうだ。結婚した時はお義父さんにもお義母さんにもとても喜んでもらえたけど、これほど頻繁に娘に心配をかけるような婿では、いい加減見限られてしまうかもしれない。

　やがて、今日はもう一日、様子を見るために入院したままになりますよ、と見知った顔の看護師が告げに来た。
「仕方ないね」
京さんが呟いた。「ごめんね」と僕はもう一度謝る。
　それから、僕と京さんはとりとめのない話をした。子供たちのこと、天気のこと、京さんの実家のコンビニのこと。普段聞いているようで聞き逃していた日常のことを。

　突然、彼女の携帯が鳴った。ヒカリさんと太一さんがお見舞いに来てくれたらしい。彼女は迎えに行くと言って病室を出たが、ドアの外で挨拶をする声がした。そういえば、小暮さんが来ていた。やがてドアが開いて小暮さんと、いつの間にか来ていたらしい滝さんが現れた。京さんはそのまま迎えに出たようだ。姿はない。
　ずっと病室の前にいたのなら、僕が京さんに叱られてるのを聞かれていたかもしれないけど、まあ、今更か。

　「ハルと交代だ。念のため、今後1週間は5係でお前を警護する。明日の朝までは俺が当番。退院したら自宅周辺で警護するから」
ベッドの横に突っ立ったまま、滝さんが言った。
「警護って大袈裟な…」
「一週間で2回もデジモンに襲われてるくせに文句言うな」
滝さんは苦虫を噛み潰したような顔をする。そう言われると反論は出来ない。

　滝さんの隣で立っていた小暮さんが真面目な顔で言った。
「イチ、立ち入ったことを聞いてもいいか。―――お前、もしかして脅されてたりする？」
「えっ」
僕は驚いて小暮さんを見つめる。脅される？僕は首を横に振る。
「いいえ、何も」
「本当に？―――まあ、お前嘘つくタイプじゃないけどな」
小暮さんは言った。
「なぜ僕が脅されるんですか？」
逆に質問してみる。
「―――俺、一応護衛だから、京ちゃんと一緒に今日のお前の検査にも付き添ってたんだわ。んで、お前が検査してるガラス張りみたいな部屋のすぐ横で待機してた」
小暮さんが説明する。僕がさっきまでいた部屋のことだろう。
「京ちゃん、泣いてちっちゃい声でずっとイチのこと呼んでて、見てる俺も辛くてさ。そのうち、お前が急にうなされながら誰かに『ごめん』って謝ったんだ。そしたら京ちゃんが急にぼろぼろ泣き始めてさ。お前の意識が戻ってきた時は泣き崩れちゃってさ。沢中教授が俺に、京ちゃん連れて病室で待機しててくれって言われたからそうして。お前が気が付いて泣くのは当然だけど、謝ってるの聞いて泣くのが腑に落ちなくてな。経験上、思ったわけだ。―――もしかして、イチ、誰かに脅されてたりすんのかなって」
「―――脅されてはいませんが……僕、謝ってたんですか」
「ああ。多分、『ごめん、ダイスケ』って何回か言ってた」

　―――ごめん、大輔。

　確かにそう思っていた。あの白い空間の中で、広げられる過去の記憶に触れながら。京さんのことと、大輔のことを考えていた。
　声に出ていた―――小暮さんが聞いたのなら、京さんも当然聞いただろう。泣き崩れたのはきっとそのせいだ。

　―――京さんはさっき、そのことでは僕を責めなかった。

　僕は彼女の細い肩を思い返した。
　さっき、羽島先生の様子が違っていたのも、多分―――『お前だって、引きずってるだろ』は、羽島先生とのことではなく、大輔のことだったのか。大輔に謝る僕が、羽島先生にはあの日の僕と重なって見えたのかもしれない。

「―――ダイスケって、本宮大輔か」
不意に滝さんが言った。
「えっ」
「前に言ってただろ。元気のかたまりみたいな、強運で海外で活躍している実業家」
　確かに、滝さんの前で大輔の名前を口にしたことはある。でも、僕はあの時「大輔」としか言わなかった。フルネームまでは口にしていない。特定できるということは、大輔自身が余程アメリカで知られた存在になったのか、でなければ5係にとって監視対象である僕自身の交友関係はある程度把握されているからか。
「実業家あ？」
小暮さんが怪訝な顔をする。
「ああ。一乗寺の友達だ。―――まあ、なんで一乗寺が謝ってたのかは知らないが、本宮大輔はこいつを脅すような相手じゃないと思うぞ。TVのインタビューなんかを見たが、あんまり腹芸のできるタイプには見えなかったからな。どっちかっていうとわかりやすいタイプ」
滝さんがそういうと、小暮さんは「ふーん」と納得したようだ。
「実業家なら、やっぱ、借金返せとか脅されてんじゃないのか、イチ」
「彼に借金なんかしてませんから」人生の借りはたくさんあるけど。
「じゃあ、なんで謝ってたんだよ」
「―――わかりません。倒れていた間のことは覚えてないので…」
嘘をついた。

　まあ脅されてるわけじゃなければ別にいいか、と言って小暮さんは病室を出ていった。部屋には僕と滝さんだけになる。滝さんはベッドの横に突っ立ったまま、僕を見降ろしている。
「―――俺は前にお前が自分の抱えてる問題を聞きたいかって聞いたとき、お前が話したくなった時でいいって言ったことを、今度のことで少し後悔したんだ」
滝さんが言った。
「こんな仕事だし同僚のプライベートにズケズケ踏み込むのは趣味じゃないが、一乗寺が置かれてる状況を把握しない限り、こっちはどう対処すればいいのかもわからない。だから、俺はお前が意識を失ってた1週間の間に、沢中教授に色々話を聞きに行ってた。係長は前に問い詰めた時以上のことは教えてくれないだろう。5係の立ち上げに関わってたんなら、あの先生は当然、お前の事情はよく知ってるんだろうから」
滝さんは静かに言った。
「ついでに聞いてみたんだ。一乗寺の知り合いで、一乗寺に影響を与えてそうな『ダイスケ』って人間がいますかって」
ああ、だから滝さんは大輔のフルネームも知っていたわけだ。

「さっきも沢中教授に会ってきた。お前を目覚めさせたのは、その本宮大輔だそうだ」
僕は思わず滝さんの顔を見た。大輔？
「―――沢中先生が僕の意識を連れ戻してくれたはずですが」
そのせいで先生は休養を余儀なくされたのだ。戻ってきて最初に聞いたのも先生の声だった。
「お前が検査中に本宮大輔の名前を口走ったことで、彼ならお前の意識に干渉できるかもしれないとコンピュータが判断したそうだ。実際、彼の呼び掛けにお前の意識は反応したらしい。それを沢中教授が捕まえた、って言ってたぞ」

　『―――賢！』

　確かにそう呼ばれた記憶はある。その後、「花屋」の「見つけた」という声も聞いた。あれは本当に大輔だったのか。
　僕の、願望かと思っていた。

　―――お前の意識が戻ってきた時は泣き崩れちゃってさ。

　小暮さんの言葉が甦る。―――お前が気が付いて泣くのは当然だけど。―――違う。京さんも多分、聞いたのだろう。大輔が僕を呼ぶのを。
　そして見たんだ。僕が、大輔に呼ばれて戻ってきた姿を。だから―――

　『―――ほら、やっぱり。やっぱりね。―――あなたたちは、特別なの』
かつて、記憶を失っていた僕をデジタルワールドに誘って、大輔に会わせようとしてくれた時の京さんの姿を思い出した。

　京さんを愛していると思う。一方で、それでも大輔を忘れていない―――忘れることができない僕がいる。
　小さな歪みが積み重なって、大きな疵となって京さんを傷つけている。そのことが辛い。

　聞こえていたのに。京さんの声も、大輔の声も。なぜ僕は、京さんの声で目覚めなかった。なぜ、大輔の声で。
　なぜ、大輔だけが―――僕に、届く。

　それは京さんを深く、とても深く、傷つけてしまうに違いないのに。



　　　　　　　　　　　　　　―　続く　―

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2017/08/06
大輔の方はわちゃわちゃしているというのに。

背景画像は「Studio Blue Moon」様より頂戴いたしました。