―――綿密に、繊細に、そしてより確実に。


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　言い訳は色々考えた。「必然性のある理由」にはならない。どれもこれも全て―――言い訳に過ぎない。自分への。
　大輔の携帯を、鳴らすための。

　夕食は味がわからなかった。その後高石にもらった本を読もうとページを捲った。初稿には目を通している。大筋は知っているはずだし、第一、僕だって当事者の一人なのだ。知らない展開ではない、それでも、「デジタルワールド」の文字を見ると僕の鼓動は激しくなった。名前が変えられていても、みんながいて―――大輔がいた。カイザーだった僕も登場する。胸が痛い。僕がカイザーだった最初の頃の部分が追加されていて、当時敵対していた高石や大輔達がどんな会話を交わしていたのかは知らなかったから、その部分は新鮮だった。
　みんなにとってのデジタルワールドは僕にとってのそれとは違っていた。高石の視点から描かれているのだから当たり前だけど、彼らにはとても大切な、大好きな場所だったんだ。僕にとってはむしろ逃げるための場所だった。途中からは、支配するための場所。大好きな場所などではなかった。大嫌いな現実よりはましな場所。カイザーであることを辞めてからは僕に悔恨と懺悔を強いる場所になった。勿論、本の中にそんなことは書かれていない。これは高石の思い出なのだから。
　僕にとって、デジタルワールドが大切な場所になったのは、大輔と親しくなってからだ。大輔と一緒に過ごした場所。現実でも、デジタルワールドでも、僕にとって大切な場所はいつも大輔の思い出で満たされている。
　捲っていくページの中に、変わらない大輔を見る。どんな表情でこの小説に書かれた言葉を口にし、笑ったり怒ったりしていたのか、見てはいなくても容易に想像がつく。僕はたくさんの、とてもたくさんの大輔のあれこれを知っているから。
　自分の心の中に広がっていく気持ちから目を逸らせることができなかった。思い出を閉じ込めておくことは、今は限界だと思った。僕の中で彼が溢れる。あの、痛々しいほどに満たされていた日々、僕の中のすべてが大輔というただ一人に向かって収束されていた時間。心が融けていく。抑えられない。
　高石の本を閉じた。京さんの顔がちらつく。僕は良い夫でありたいと思っている。―――思っているけれど。
　夫や父親ではなく、ただの一乗寺賢でしかない僕自身が、彼を求めてしまう。―――声だけでいい。触れたいなんて望まない。ただ一瞬、同じ時間を共有しているのだと実感できれば、それだけでいいんだ。それで今の気持ちに折り合いがつく。この、僕を苛む焦燥感に。

　投げ出したままの携帯に手を伸ばす。通話履歴の画面を呼び出して、リダイヤルする。ああ、心臓の音がうるさい。掛けてから向こうは夜中だと急に気が付く。いけない、と冷静さを取り戻して切ろうとした時、 『―――もしもし？』
大輔の声がした。
「―――大輔……」
無意識に僕は呟いてしまっていた。
『賢？』
名前を呼ばれる。心臓の音が益々うるさくなった。頭に血が昇る。
『―――どした？身体、もう大丈夫なのか？』
「ど―――どうもしない！ごめん、夜中に！切るから！！」
僕は叫んだ。通話をオフにしようと携帯を耳元から離す。大輔の慌てた声が漏れてくる。
『ちょ、待てって！！切るな、賢、切るなって！！おい』
プツン。「あ」切ってしまった。―――落ち着け。さっき、大輔は「切るな」って言った気がする。
　頭の中が真っ白になる。僕は手の中の携帯を見つめた。手が震えている。突然、着信音が鳴った。
「うわあ」
反動でつい通話ボタンを押してしまう。
『切るなつっただろ！！バカか！』
大輔の第一声。焦った声で。
「大輔」
『お前は俺の話を聞いてんのか！体調、どうなんだよ？大丈夫なのかって聞いてんだろ？』
「大輔……」
『大体な、会議の最中に「一乗寺君が危険な状態だ」とか唐突に言われて俺はすっげーびっくりしたんだぞ！？…って、―――賢？』
「――――――」
『―――お前、泣いてんのか……？』
　声を殺してるのに気が付くなよ、ばか。
『まだ具合悪いのか？大丈夫か？賢、おい』
大輔のおろおろした声が聞こえる。
「大丈夫、ごめん。―――君に、お礼言っとかなきゃと思って掛けたんだけど……時間が時間だったから」
僕なりに最善の、「言い訳」をする。
『お礼？』
「―――意識のない僕を呼んで、助けてくれただろ」
ああ、と大輔が言った。
『助けたっつーか、突然賢が青い顔してぶっ倒れてる映像見せられたから、びっくりして名前呼んじまった。―――それで賢の意識が戻ったんなら、よかった』
「うん―――」
『賢？』
胸が苦しい。大輔の声を聞いていると、抑え込んでいた何か、必死で取り繕っていた何かが喉元までせり上がってくる。
「どうして―――どうして、君なんだろう」
その想いが、再び僕の心を割く。
「京さんが―――ずっと僕を呼んでいたんだ」
そのことを、大輔に話す必要はないはずなのに。ただ、僕を連れ戻してくれてありがとう、とそれだけでいいはずなのに。
「聞こえていたんだ。―――なのに、届いたのは君の声だけだった」
『―――京は検査の間、お前のそばにいたのか？』
「あのSIESTAの見える隣の部屋で、検査中の僕を見てた。心配して、僕の名前をずっと呼んでた。僕は……知ってるのに―――」
　大輔のことで惑う自分を京さんに知られてはいけないように、大輔にも僕が京さんと大輔の間で気持ちが揺らいでいることを話すべきじゃない。そう、理性ではわかっているのに。
　自分が抑えられない。

　大輔は何か考えていたのか、少し沈黙していた。そして、賢、と再び僕の名を呼んだ。
『京は「俺が」お前を目覚めさせたと思ってるのか？偶然じゃなく？―――だから、お前は自分が京を傷つけたと思ってるってことなのか？』
確かめるように大輔は僕に聞く。
「―――そうだよ。京さんは、大輔だから僕が目覚めたと思ってる。……自分が起こしてあげたかったって、彼女に言われたんだ」
あの時の、寂しそうな目の色を思い出す。
「でも―――君が僕を起こしたのは偶然じゃない。SIESTAが君なら可能性があると判断した、その結果だと人から聞かされてる。だから、つらい」
それは大輔のせいではないのに。
「―――ごめん」
『―――なんで謝る。お前が悪いわけでもないだろ。……勿論京のせいでもないし、俺は―――うん、まあ、そうだな、―――根本的には、俺のせいらしいから……悪い』
　歯切れの悪い言い回し。「大輔？」
僕は不審に思った。
「君こそ、どうして謝るのさ。―――俺のせいらしい、ってどういう意味？」
そして不安になる。
『いや』
「君は、何か知ってるのか？―――何を知ってるんだ？」
問い詰める。僕ははっとした。
「大輔。君はどうしてあの時、あそこに現れたんだ？僕が検査を受けることを太一さんに聞かされてたのは知ってる。でも、検査中の僕の状態が悪いことを君に伝えたのは誰だ？」
『誰って……沢中のおっさんだよ』
「違う」
僕は即座に否定した。
「君の力を借りることは、僕が検査中に君の名前を口走ったせいで俄かに決まった方針だったと聞いている。だから、そのことを知っているのはあそこにいた人間しかいない。状態が悪い僕に接触することは沢中先生にもリスクが高いことだから、沢中先生は僕の意識を拾い上げるために、君が僕を呼ぶ前から僕の隣で神経を集中して待機していたはずだ。事前に君と話しているような余裕はないと思う。それに、君自身がさっき言っただろ？僕が危険な状態だって唐突に言われたって。実際、僕が聞いた君の声はとても切迫していた。―――あの場所に立ち入ることができて、僕のことを『一乗寺君』と呼ぶ人間は限られている。沢中先生でなければ光子郎さんだけど、光子郎さんはあの時あそこにはいなかった」
『―――羽島が』
「羽島先生なら僕のことは一乗寺と呼び捨てにする」
『――――――』
「君に話したのは『花屋』だ。―――君は以前、自分のマシンに侵入してきた『花屋』から僕のことを聞かされたと言ってた。彼ならネットワークを介して会議中の君の居場所を探し出すことも可能だろう」
　大輔の沈黙を僕は肯定と受け止める。
「君が『俺のせい』だというのは、もしかしてワームモンのことじゃないのか。僕の記憶を保管するための器としてワームモンを選んだ、その影響について君も『花屋』から聞かされた。―――そうだろ、大輔」
『―――ああ』
　溜息が聞こえてきた。
『そっか、賢も知ってたのか』
大輔は言った。
『あの時はそれが一番いいって―――というより、俺もワームモンも他に選択肢がないと思ったからそうした。……今になって、お前に影響が出るなんて思ってなかったし、知ってたらあんなことさせなかった。俺との思い出だけが代償で済むのなら、むしろその方が今の賢にはよかったよな』
「大輔」
『賢。―――京が大事か』
不意に大輔は聞いてきた。
『こうやって、中途半端に俺と接点を持つことが京を余計に傷つけると思うのなら、いっそ―――京と別れて俺の処に来い』
僕は耳を疑った。
「何、言って……」
『その方が、京もあと一回だけ大泣きすれば済む』
「馬鹿なことを。―――大輔、君、どうかしたんじゃないのか。そんな馬鹿なこと」
『賢は京を泣かせるのが嫌なんだろ？俺はそうやって賢が苦しむのが嫌だ』
「君は―――君はこの間、やっぱり僕を好きだと言ったとき、だからって今の僕の生活を邪魔するつもりはないとも言ったよね。僕だってそうだ。僕には、家族に対する責任がある。正直に言えば君のことを忘れることはもう無理だって、今思い知ってるよ。だけど―――だからって、君を選ぶことはできない。そんなこと、君だってわかってるだろ」
『―――お前の、』
そこで大輔は口をつぐんだ。
「僕の？何だよ。大輔―――何を隠してる？」
大輔は黙り込んだままだ。
「大輔」
苛立った声で名前を呼んだ。
『―――悪い。なんかこれ以上話してると酷いこと言っちまいそうだから、もう電話切るな。……ごめん、おやすみ。―――賢』
やけに静かな声で大輔はそう言って、一方的に電話を切った。
「何―――何なんだよ、一体。訳が分からないじゃないか」
切れた電話に向かって僕は罵った。

　リダイヤルした時の高揚した気分が嘘のようだ。今はただ、混沌とした戸惑いと苛立ちの中にいる。
『いっそ京と別れて俺の処に来い』―――強引な彼の言葉に心が乱されたままで。
　それができないことを、大輔はわかっているはずだ。なのになぜ、あえてそんなことを口にする。―――ごめん、なんて、なぜ僕に謝る。

　―――大輔。君は僕に、何を隠してる？

　電話なんかしなければよかった。僕は高石の本と携帯をまとめてサイドテーブルの端に追いやり、頭から布団を被って体を丸めると固く目を閉じた。



　　　　　　　　　　　　　　―　続く　―

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2017/10/29
書いてて大輔さんがちょっと不憫になりました。

背景画像は「Studio Blue Moon」様より頂戴いたしました。